パリにおける仕事・日常生活の忘れな草


by vwpolopolopolo
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塩野七生さんのヴェニス

今日は朝から雨で風もきつく悪天候でした。棚にある日本から持ってきていた本を整理していて、塩野七生「ルネッサンスとは何であったのか」を見つけました。2001年4月21日に購入したと記録しています。中を見ると「ヴェネツイアで考える」との章があり、ざっと読み返すと為になることがたくさん書いてありました。先週ヴェニスに行っていましたが、これを読んでから行くべきだったと後悔しました。

以下読み返してのポイント整理です。

・ 渡し船に立ったままの人は土地者、ほんの少しの時間なのに坐っているのは他所者。
・ 高速道路を走っていてヴェニスナンバーを見たら注意せよ、と現代でも言う。
・ 共和政体は、古代アテネのような直接民主政でなく、現在の代議員制民主主義とも異なる。寡頭制と呼ばれる小数指導型の政体で、共和政時代のローマに近い。
・ 有力家系に生まれれば、成年に達すると共和国国会の議席を与えられ、これら議員の選挙により元老院議員(セナート)を選出。これが事実上の国会。内閣機能は実際は17人による「10人委員会」。最高責任者は、古代ローマでは1年毎選出の2人の執政官である一方、ヴェニスは一代限りの終身の元首。但し、権威のみの保障で、権力的には内閣の1人、10人委員会の1人との扱い。
・ ヴェニスの有力者とは交易で財を築いた者達。富の格差はあったがそれが固定しない仕組みが設けられたところが経済人の運営する国家の見本。例えば利益率の高い香辛料を運ぶ大型商船は個人の所有は認めず。
・ 自国市場を守るに欠かせない海軍は全員を自国民で固める(陸軍は傭兵にも依存。)。レパントの海戦勝利はヴェネツイア艦隊なしには成し得ず。
・ ヴェネツイア指導者の究極の目標は、自国の独立、ローマ法王庁からの干渉の排除。「まずはじめにヴェネツイア人、ついでキリスト教者」と一般の市民ですら口にするほど政教分離主義が鮮明。
・ サン・マルコ寺院は公式にはヴェネツイア共和国元首の個人礼拝用のチャペルで、寺院の主権はローマ法王庁に属さず。司教館は遠く離れた場所に置かれた由。ローマ法王が「自分はどこでも法王だが、ヴェネツイアだけは違う。」と嘆いたとのエピソードも。
・ 運河沿いにサン・マルコ広場までの建築物を見ると、14~15世紀のビザンティン様式(カ・ドーロ等)、16世紀の西欧色と変遷。
・ ヴェニスを代表する芸術家ティツィアーノについて、直接に降る陽光だけでなく、運河に反射する光も影響。そのゆえ多彩な色使いとなる。しかし単なる色彩画家でなく、描かれる人物の人生すら感じさせる力量があったことから、当時のヨーロッパ中の王侯貴族からの依頼が絶えない流行画家となった。
・ ゲーテは、ヴェニスは肉体の目で見るには不十分で、心の目で見なければ分からない、と遺している。

ドゥカーレ宮殿を最初に見て、通常の西洋建築と異なるな、と思ったのも訳ありで、東方(ビザンティン)の影響を受けていたということとなります。東ローマとローマ法王庁との間でうまく中立を保ちつつ、交易の中継地点として生きながらえたヴェニスには何かと学ぶことが多い気がしました。
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by vwpolopolopolo | 2006-12-03 23:00 | 日常生活