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パリにおける仕事・日常生活の忘れな草


by vwpolopolopolo
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ラヴェルの家

パリ郊外のモンフォールラモリー(Montfort l'Amaury)にあるラヴェル博物館(Musee Maurice Ravel)に行ってみました。ラヴェルは「ボレロ」(1928年)の作曲者として有名です。1875年にCibourne生まれ、1921年にこの邸宅(le Belvedereと呼称、展望台の意味。)を購入し以後ずっと住み続けた由です(1937年パリで死去)。

14:30から午後は入場できる(ガイドツアーとなる)ということで、それまでカフェでコーヒーを飲んで待ち、時間ぎりぎりに行くと既に何人か待っていて、良く見ると1回のツアーは7人までとなっていて、私はあぶれてしまいそうでした。既に待っていた人の中には、さっきカフェで横で飲んでいたフランス人男性も混じっていました。当然話したわけではなかったですが、若いようですが結構上品な服装で端正な顔立ちをした人だなと思っていた人でした。

説明をしてくれるおばあさんが現れ、人数オーバーしているがまあ良かろうということで入れてもらえました(入場料7.30ユーロ)。最初に参加者全員にこのおばあさんが「ミュージシャンの方いらっしゃいますか?」と聞きました。私は当然素人なので、「違います」。他の人も中には「アマチュアです。」と答えている人がいました。(なるほど、アマチュアとは便利な言葉です。私も音楽を少なからず嗜むのでこれからはそう言おうと思いました。)

邸内はそれほど広くなく、確かに大人数で観覧するのは無理でした。ひとつづつ部屋を説明していく形式で、ラヴェルの書斎(図書室)は彼の収集した本が当時のまま陳列されていました。そこには当時としては珍しかったであろう、彼が使ったレコードプレーヤーも展示されていました。また、中国や日本に興味を持っていたようで、「中国の部屋」というものも1室あり、また、歌舞伎役者の絵(中村歌右衛門などと書いてあった。)や浮世絵なども飾ってありました。中国や西洋のからくりおもちゃのようなものも収集していたようでした。

さて、ラヴェルのピアノのある部屋(Salon de Musique)に来ました。木製のグランドピアノが置いてあり、ここで作曲をした模様です。突然上述の若いフランス人男性が「弾いて良いですか。」と言って、いきなり弾き始めました。最初は練習曲のようなもの、次にものすごく早弾きのクラッシックの曲を弾きました。ガイドのおばあさんも、他の参加者も「お~」という感じで聞き入りました。「プロではないが、仕事で弾くことがありますから。」ということで何の仕事なのか分かりませんでしたが、最初にカフェで見た時から何やら雰囲気がある人だなと思っていたら、只者ではなかったわけです。展示されているピアノですが、きちんと調律もされていたようで、しかし一般客に触れさせてくれるとは思いませんでした。

その後、なぜかガイドのおばあさんは「ラヴェルの曲の中でも私のお気に入りを聞いて下さい。」とCDをかけ始め、皆で聞き入ることとなりました。(変なツアー・・)

その後、庭にも出ることが出来ました。出てみると一見して日本風の箇所があり、眺めていると、フランス人の老夫婦が「日本のもののようですね。」と声をかけてきてくれました。「私達は、京都も奈良、松江、長崎にも旅行しました。松江はラフカディオハーンがいましたね。」と言うので、「ハーンは日本名も持っていました。」などと話しました。

ツアーはおそらく通常の時間を大きくオーバーして1時間15分くらい要しました。終わった後、上述のフランス人男性はまた入り口から入っていきました。多分もう少しピアノを弾きたいと依頼していたのかもしれません。

ラヴェルの言った言葉ということで邸内に展示されていて印象的だったのは、「私の唯一経験した恋愛は音楽とのものであった。」というものでした。ピアノを弾く、弾けるというのは何とも格好が良いなと思いました。
by vwpolopolopolo | 2006-09-30 21:50 | 日常生活