パリにおける仕事・日常生活の忘れな草


by vwpolopolopolo
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デュマの居城

パリ郊外のポール・マルリーのアレクサンドル・デュマの屋敷「シャトー・モンテ・クリスト」に行きました(入場料5ユーロ)。だいぶ以前に行って閉まっていたことがあり、今度こそと思って行ったものです。(2月18日に言及。)

「モンテ・クリスト伯」を書いたのはデュマ(父、Pere)で、息子も同名です。デュマ(父)の生きた時代は19世紀、7月革命、2月革命を経験していることとなります。

このお屋敷はデュマの展示がなされていましたが大変興味深いものでした。まず彼は大変な美食家だったようです。そのせいもあり、肖像画どれを見ても大変な肥満体です。3階建てのこの屋敷には多いときには600人が集まってパーティーに興じていたと説明にありました。自らも料理をしたそうで、象の足の包みもの、カンガルーの肉のフィレまで食べていた由でした。自分自身で大変分厚い「料理辞典」まで編纂していました。ある夜のメニュー(アントレにオマール、魚料理はサバ、カレイと書いてあったと記憶しています。)も展示してあり、覗き込んでいたら、職員が暇だったのか話しかけてきてくれました。

「彼(や同時代の美食家)と同じような食事を今摂ったら体を壊します。普通メニューにはアントレ・プラ・デゼールでそれぞれにチョイスがある(~又は~又は~という風に。)が、このメニューには「又は」がない。書いてあるもの全てを食べていたということです。」

とのことでした。太るのも無理はないわけです。

美食家であると同時に旅行が大変好きだったようで、「パリからケルンを経て、サンクトペテルスブルク、カスピ海の側を通り、トルコを越えて、ギリシャ、マルセイユまで」、また「スペインを縦断して、モロッコ、チュニジアまで」足を伸ばす旅行もしているようでした。「シナイ半島での4日間」との題名の小説(?)も展示されていましたが、この旅行にヒントを得たものと思われます。

旅行時にイスラム建築に興味を持ったデュマはチュニジアから職人を連れてきて、この屋敷の2階の2部屋をイスラム風の部屋に改築していました。私が観た現在の修復状況は実際には1980年代に、モロッコの王様から援助を受けたものとの説明がありました。

屋敷のすぐそばに離れがあり、「シャトー・ディフ」と名づけられています。そこで「モンテ・クリスト伯」等を執筆した模様です。「モンテ・クリスト伯」の物語同様、屋敷の方がさじずめパリの社交場、離れの方がパリの社交界から主人公が隔絶されていた「イフ島」を表しているということでしょうか。

デュマはジャーナルの刊行者でもあった模様です。自身の小説を出してみたりもしていたようです。

また、彼の作品は色々なところで何度も舞台公演されているようでした。映画でも扱われている記録も展示されていました。

肖像画がたくさん残っていて、また屋敷の入り口上部に自分の顔の彫像をはめこんでいたりと、かなり自己顕示欲の強い人だったようです。しかし、執筆、美食、旅行、放蕩、好きなことを存分にやったということが、あの肥満体から伺われ、羨ましいというか何となく笑ってしまいました。
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by vwpolopolopolo | 2006-09-24 21:50 | 日常生活